自己紹介

ブログ名は「まいにち1UP!!」、名前は「アロハ犬」と名乗っているが・・・、遠くないうちに、両方とも多分変える。

なかなかしっかりくるものがないんだよな。ここから下は、私のプロフィールを書いていく。

人間性

クソ真面目すぎてつらい

自分で言うのもなんだけど、かなり真面目。

仕事も勉強も手を抜くのが苦手で、完璧にやらないと気が済まない。ただ、プログラマーの仕事には向いている性格だったなと思う。バグを潰すことへの執念は確実に役立っている。

会話も真面目すぎる。これはちょっと悩み。最近はYouTubeも挑戦しているのだが、終始、話している内容やトーンが真面目すぎるなと思っている。普段からそんな感じだから、カメラ回している間だけエンタメ要素入れようとしても、ちょっとぎこちない感じになってしまう。YouTubeはご存知の通り、チャンネル登録者数が大事なわけだが、これは言い換えれば自分のファンを増やすことであり、言ってしまえば典型的な「ファンビジネス」だと思っている。

自分がもっとコミカルに行ければ、グイッとチャンネル登録者数も伸ばせるのに・・・と自信をなくした時期もあったが、逆に真面目なのが刺さる方もいるようで、予想に反してチャンネル登録者数はじわじわと伸びている。

大学生の頃は、会話が面白い奴は心底羨ましくて、尊敬と同時にちょっと嫉妬してた。でも、特に社会人になってからは、真面目で損することもあれば得することも同じぐらいあることを体感できるようになったから、自分の性格も好きになってきた。

仕事

IT企業で、会社員プログラマー(エンジニア)をしている。

新卒から現在まで、ずっとゴリゴリのサーバーサイドエンジニア。技術スタックとしては、Laravel(PHP)+Vue.js+AWSを用いたWebアプリケーション開発が中心。ScalaやRuby、Python、Node.jsなども普通に書ける。

開発作業と同じぐらい、要件定義が強みだと思う

強みとしては、単に開発作業ができるだけでなく、複雑なビジネス要件の整理、運用フローの構築など、保守フェーズまでを見据えた中長期的な視点で、要件定義を進めることができるのが強みだと思っている。また、データベースやサーバ、ネットワーク、セキュリティに関する知見も一定あるため、どのような案件・ポジションでアサインされても、何かしらの役に立つはず、つまり組織の中での汎用性があるというのもある。

大規模案件を主導した経験もあり

また開発規模5000万円程度の案件であれば、最上流(見積・要件定義)から開発、納品までをプロジェクトマネージャーとして主導で進めてきた実績があり、比較的規模の大きい開発をリーダーとして先導可能と自負している。5000万という数字は普通に生活しているとなかなか聞くものではないので、この数字を掲げることが自慢のように聞こえてしまったら申し訳ない。だが、このぐらいの開発規模はSIerにおけるシステム開発ではそこまでそこまで珍しいものでもないのだ。

当たり前のように使っているWebサービスやアプリが、実は1000万円単位の大金を投入して作られていることは、実はよくあることである。とはいえ、20代でこの規模の開発をリーダーとして任せてもられるのは、恵まれていることであるのは間違いない。こういった経験をさせてくれている会社には感謝しており、またこういった経験ができること自体が会社員として働く醍醐味であると言えるだろう。

フリーランスについて思うこと

そして、会社員というキーワードと対になるのが、フリーランスである。世のトレンド的には、フリーランスが注目を集めている。だが、個人的にはエンジニアのフリーランス化には、少し懐疑的である。個人や少数チームでの開発は、どうしても開発規模が小さくなりがちである。20代のうちはそれでいいのかもしれないが、40代、50代になったときに、年相応の強みとして何を挙げられるようになっているかと考えると、少し難しい。もちろん、今はフリーランスエージェントが充実しているため、フリーランスでも大規模開発へ斡旋してもらうことも難しくはなくなったが、それでも、外部の人間に任せられる仕事というのは、中心的な役割でなく、替えが効くポジションであることが少なくない。

もちろん職業に貴賤はなく、どちらが良い悪いという話をしたいわけではない。自分自身も、フリーランスには憧れており、いつかはなりたいと思っている。実際、私も節目ごとにいつもフリーランスになることを検討するのだが、そのたびに「今ではない」という結論に戻っていくのだ。

フリーランサーは、圧倒的な自由と引き換えに、将来の不安どころか目先の売上を手にするために日々奮闘し、心身ともに負担をかけながら生きている。少なくとも、私の友人のフリーランサーたちは皆、そんな感じだ。「楽し」そうに生きているが、決して「楽」そうではない。

もちろん、フリーランスになる人は応援したいと思うし、全力で頑張って欲しいと思う。そして、私のような会社員では見ることのできない景色を見て、次のステップへ人生を進めて欲しい。だが、「フリーランスになれば誰でも大金を稼げる」「フリーランスになれば誰でも楽な人生を謳歌できる」という考えでフリーランスになるのであれば、それは考え直したほうがよいと思う。

先に挙げたような、大規模案件にビジネスサイド・上流から携わっていくというキャリアは、会社員のほうが積み上げやすく、潰しが効きやすい。つまり、転職するとしても、どんな会社や業界でも割と通用しやすいということだ。遠い将来、例えば40歳、50歳になった自分が食いっぱぐれないため、こういったキャリアを積むために会社員を続けるというのは、ひとつの立派な生存戦略ではないだろうか。

Javaが好き

ちなみに、今でこそPHPがメインウエポンだが、かつて最も長く書いてきた言語はJavaである。

PHPにもだいぶ慣れてきたが、Javaは何だかんだ使いやすい言語だと想う。世間ではオワコン言語と言われることもあるが、強力な型付けによって曖昧さを許さないという点において、決して他のスクリプト言語にはない強みであり、それが個人的にはすごく魅力的なのである。

三度の飯よりガジェット

とにかく、ガジェットが好きだ。

特に、ラップトップ(ノートパソコン)が最も好きである。その中でも、11〜14インチあたりの小型ノートは、個人的にかなり激アツなジャンルである。

小型ノートのおもしろいところは、軽量化と高性能の両立が求められることだ。

小型ノートパソコンの魅力

重量を犠牲にパワーに全振りするデスクトップパソコン、逆にパワーを諦めて携帯性に全振りするタブレットPCやネットブック。そのいいとこ取りが求められるのが小型ノートであり、実現にあたっては極めてメーカーの技術投入が必要となる。それは1グラムでも軽くするための素材選びだったり、小型というハンデの中で高性能を実現するための排熱設計だったり。

また、当然ながら軽量と高性能を実現するパソコンは、どちらか一方だけのパソコンよりも高価格となる。そうなるとデザインも、所有欲を満たすハイエンドにふさわしいものが多くなり、メーカーごとに特色が出てくるのだ。特にDELL XPSは、他社の追随を許さない洗練されたフレームレス・デザインと艶やかなアルミボディという軸は守りつつ、毎年いい意味で期待を裏切る、デザイン面のモデルチェンジを遂げている。2020年モデルでは画面アスペクト比が16:10と縦に大きくなり、スペック面でもユーザビリティを大きく引き上げる進化を見せつけてきたのだ。

このように、小型ノートパソコンは、メーカーの本気が垣間見えるジャンルである。また、その実現方法もメーカーによってアプローチが色々と違うのが、またおもしろいのだ。

買えるものは有限だからこそ

ラップトップ以外にも好きなものは非常に多い。最近だと、4Kモニターやドッキングステーション、外付けGPUなどは興味が強い。また、実は最近、こっそりとYouTubeに参入しはじめたのもあり、カメラ機材も欲しいものが増えてきてしまった・・・。

はっきり言って、欲しいものが多すぎて全部は買えない。

だからこそ、限られた選択肢の中から最もよい選択ができるよう、知恵を使って商品選びをしていく必要がある。その過程が、同じように悩む人のために役に立つと思えば、商品レビューというのも書く意義が大きいものだ。

大学生活

軽音サークルで音楽の日々を謳歌した

大学は文系に進んだ。音楽が好きだったので、サークルは軽音を選んだ。

音楽漬けの4年間だった。たくさんのバンドを組み、幾度ものライブをした。これはこれで非常に楽しかった。もう大学生に戻らなくてもいいと思えるぐらい大学生活をやりきれたので、社会人になってから学生生活を惜しむような未練は全く残っていないという意味ではよかったのだろう。

後悔も少しある

だが、まもなく30代になる今思うこととしては、もっと本気で、新しい何かに挑戦すればよかったと、少しばかり後悔はある。ビジネスでも趣味でもかまわないので、もっと自分が知らない世界へ飛び込んで行けたらよかったなと思う。

学生時代はお金がなかった。だが、お金がないことを言い訳にして、自分が元々持っている機材や知識だけで遊べる音楽に4年間を費したのだ。今思えば、少しもったいなかった。あえて経済用語を通買うのであれば、サンクコストを捨てられなかった、ということである。

時間こそが最も貴重だと気づけなかった

大学生はお金がない代わりに、無限とも錯覚するような、膨大な時間がある。当時大学生だった自分は、これがいかに貴重であるかに気づくことができなかった。しかし社会人になった今はわかる。膨大な時間というのは、お金には変えられない価値があるのだと。

もし、いま自分が大学生に戻るなら、最初の1年間は全てを犠牲にしてお金を稼ぐ。150万ほどの資金は作れるだろう。そして大学2年目になったら、自分が本当にやりたいことをするためにお金を十分に使う。それはカメラかもしれないし、バイクかもしれない。とにかく自分がそのとき一番興味がある新しい世界にお金を使い、体験を買うのだ。

文系学部だったけど、情報系の勉強に打ち込んだ

こう書いていると、大学時代は学業や勉強はほったらかしだったように思われてしまいそうだが、勉強は勉強で人並み以上にやってきたと思っている。大学でのウェイウェイ・ハイテンションに恐れをなした私は、文系職(具体的には営業など)で彼らと一生戦っていくのは分が悪い勝負だと判断し、早々に方向転換に舵を切った。畑違いの情報系の勉強に手を出し、プログラマーになるための学習を始めたのだ。

この判断は正しかった。この日々のおかげで今の仕事があり、またプログラマーという仕事に満足して毎日を送れている。当時の自分グッジョブと言わざるを得ない。こういった勉強を続けたおかげで、新卒でIT企業のプログラマーとして入社することができ、新卒1年目の夏には国家資格である「基本情報技術者試験」に合格することができた。またその次の春でさらに上位資格となる「応用情報技術者試験」にも連続で合格するというコンボを決めることができており、学生時代の下積みの成果を働き始めてから強く実感することができている。

本当は、基本情報技術者試験は在学中に取得するのが目標だったのだけれど・・・。まあ結果オーライってことで。

もちろん学部の勉強は手を抜くことなく、成績はほとんどSを取得してきた。サークルの仲間には、そんな一生懸命勉強してどうするの?って笑われたりしたこともあったが、自分を貫き通していなかったら、今ごろきっと、全然違う仕事をしていたことだろう。

ブログを書く意味について

大きく方向転換したい

2019年のいつかを境に更新が止まっているこのブログだが、2020年7月から、大きく方向転換をしようと考えている。過去の記事も、新方針に従って全体的に書き直していく。

元々、文章を書くのがマジで大好きだった。このプロフィールをここまで読んでいただけた人であれば、なんとなく察しがつくだろう。好きな文章で誰かを魅了でき、それが結果的に収益化につながるのであれば、これ以上ない最高なことだと思って、ブログを始めたのだ。

私のブログ人生はかなり古く、中学生の頃から書いている。西暦にすれば2010年より前に始まっている。しかし、何度かの移転を繰り返す中で、不要な記事は削ぎ落としていき、このブログに残っているのは2015年の記事が最古となっている。

安易なテクニックに目が眩んだ

そんな「好き」を満たすために書き始めたブログだが、いつしか目的が「小銭稼ぎ」に変わり、SEO対策、アフィリエイトへの導線などを意識することが最重要になってしまっていた。SEOというのは、「検索エンジン最適化」の略であり、一言で言えばGoogleの検索結果で一位を目指すことである。

このプロフィールの文体は、長くてクドイ言い回しだろう。私は気の赴くままに文字を打つと、こういった文体になる。だが、こういった長くてクドい表現は、長文を読むのが苦手な人のページ離脱を生み、結果的にページの評価ダウンにつながったり、最後のアフィリエイトリンクまでたどり着いてもらえず、収益が落ちたりする。

そうなると、本を読むのが圧倒的に苦手な人をペルソナに置き、そういう人でも最後まで読めるように工夫しなければいけない。小学生にもわかるような言葉遣いと短文、「です!」「ます!」「と言う感じです!」みたいな明るい文体などを駆使し、いかに読みやすくするかを追求する必要があった。ぜひ、適当なキーワードで検索し、上位にくるブログたちを読んでみてほしい。やたらと行間が広く、一文は短く、蛍光ペンやイラストをたくさん散りばめて飽きさせない工夫が盛り沢山なのがわかるだろう。これがSEO対策の一つの解なのだ。

実際、私のこのブログも、そういったことを試行してきたおかげで、一時はかなりのアクセスを集めるブログとなった。中の人の素性を出すと「余計な文章」が増えて離脱につながるため、無機質な情報提供に徹し、私が何者であるかなど全く興味をもたれないまま、ざくざくとアクセスを稼いできたのだ。

親、友人、恋人、恩師に、そして世間に見せられるものを

しかし、私はこんなことがしたかったのだろうか?

違う。もうそういうのは嫌だ。何のために、有限な時間をブログに割いていくのか?社会人の余暇時間というのは多くない。そんな小銭のために、限られた時間を何も残らない文章の量産に当てることが、一体何になるというのか。

自分の親、友人、恋人に、そして会社の上司に、堂々と「このブログは、私自身の思考の結晶であり、私の生き様である」と言うことができるだろうか?

顔と実名を公にして、このブログを世間に晒すことができるか?

自分に正直に生きたい。どうせブログに時間を使うのであれば、「自分が書くからこそ意味があること」を書いていきたい。

好きなことを、好きなように書き、そこに共感してくれる人がいれば本望であるし、たとえ共感者がいなくても、それはそれでいいと思っている。自分が書くからこそ意味があることを書く。それが一番大事なのだ。30代突入まで秒読みとなった今、そんな風にブログとの向き合い方を変えようと思っている。

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